カテゴリー別アーカイブ: 思考録

都会の通勤時間。四半世紀なサラリーマン生活でシュミレーション

東京のサラリーマンの生活

個人差はあるかもしれない。。。

我が家から会社まではドアtoドアで1時間位かかる。

遠い人は2時間かけてくる人もいる。

往復で2時間から4時間、しかもギューギュー詰めの中毎日東京のサラリーマンは会社に通う。

会社での勤務時間は9:00〜17:30だが、大体会社を出るのは自分の場合23時位だった。

つまり14時間会社にいて通勤で2時間、一日の16時間を会社のために使っていた。

仕事をしている時間は昼休みを1時間除いて13時間となる

0時に家に帰り食事と風呂とテレビで3時間過ごして寝るのが3時

4時間寝て7時起床、朝食とか準備して8時に家を出る。そんな時代を長く過ごした。

家族との生活もすれ違いで中々顔を合わすことも少なかった。

家のことも平日は嫁任せできた。

これが在宅ワークだとどんな生活になるか想像してみる。

7時起床、朝食を食べ、洗濯・掃除

9時〜12時(3H) 仕事

12時〜13時 昼食、銀行など手続き

13時〜19時(6H) 仕事

19時〜22時(3H)お風呂・夕食・テレビ・家族と団らん

22時〜2時(4H)仕事

2時〜7時(5H)

一日13時間を働くことは変わらない。

通勤地獄の2時間が無くなり、嫁の負担も軽減でき、家族とも団らんが出来て1時間多く眠れる。

もちろん、全国を飛び回っている現在の自分にとっては家族団らんは望むことは出来ないのだが。

自分のサラリーマン生活の四半世紀を振り返って、在宅テレワークだったら勤務時間は同じでも

ワーク・ライフバランスは全く違ていたんだなと思うのでした。

 

 

 

日記 11/7 大船渡 歌声喫茶ともしび

大船渡

ずっと着手できなかった「地域共生アプリ」のコンセプトペーパーをまとめる。

新たな出会い

夜、腰が痛かったので大船渡温泉に。まだ出来たばかりで、大船渡湾を一望。390円は安い(涙)

夜の大船渡湾に浮かぶ綺麗な満月を眺めながら1時間位露天風呂に入っていた。(湯治気分)

そこに、一人の白髪の紳士が。めちゃくちゃいい声で世間話を始める。

「昨日は福島で「こうえん」して、明日は盛岡の駅前のホールで「こうえん」するんですよ。」と。

あー学者さんか何かなのかなーと思ってたら、何とその方は新宿にある「歌声喫茶ともしび」

の責任者の方だった。

歌声喫茶ともしび

http://www.tomoshibi.co.jp/

僕が知っている「歌声喫茶ともしび」は新宿歌舞伎町裏にあった風情のある喫茶店。

上京したばかりで「歌声喫茶」って??と思いながら前を通ったのを覚えている。

お店は60年以上前、反戦運動、学生運動の聖地のような場所でロシア民謡やフォークソングを

みんなで歌いあう場所だったそうだ。

tomoshibi1

 

 

 

 

 

 

 

そこから20年位は低迷期が続きそれこそ「風前のともしび」だったとその方は語る。

すると15年くらい前から、当時運動員だった人たちがリタイアしてまた通いだすようになり

盛り上がり始め、そこから「出前喫茶」で色々なイベントに呼ばれたり単独公演をするように

なったとのこと。

tomoshibi3

 

 

 

 

 

 

 

ご自身は福島県の浪江町の出身らしく震災後被災地での「出前喫茶」を続けられているとのこと。

「出前喫茶」とはホールや公園に集まった人たち全員で昔懐かしい歌を歌うというイベントで

「こうえん」とは「公演」のことでした。

年間200以上の公演が行われていてホテルオークラからもオファーが来たそうです。

「明日は盛岡駅前のホールで500人の方が2000円のチケットを買って集まっていただきます。」

と嬉しそうに話していた。今度お店にお邪魔することを約束する。

「マグロのカマ煮、頑張って食べてください」と送り出す。

「歌声喫茶ともしび」

学生達の熱いパッションに包まれ彼らを送り出したその場所は、20年の低迷期に必死に耐え、

現在はリタイアしたその人たちのパッションをまた受け入れる場所に。その存在の大きさは

「出前出張」という形で全国からも求められている。

高齢者に情報を届けるのではなく、高齢者のパッションを吐き出させ元気を蘇えさせている。

高齢者が綾小路きみまろでわざわざ毒舌を聴きにいくのは、自分が吐きたい毒をきみまろさんが

代わりに言ってくれるて、それをみんなで笑って共感しあいたいから。

出前喫茶に2000円払うのは、思いっきり大きな声でみんなで歌って共感したいから。

「吐き出す」ことと「共感」すること、その「空間」にある価値があるのではないだろうか。

色んな事を学べた出会いであった。

 

見方で「やる気」は変わる

先週末、久しぶりに長男、長女とゆっくり会話する機会があった。

長男との会話

長男は4月に就職したばかり。仕事に慣れてくると同時に色々な不満が溜まってきたらしい。

「なぜあんなままにしておくんだろう」「あそこには結構人がいるのに」「みんな辞めたがってる」

よく会社で聞く種の不満が次々出てくる。

父「で、どうしたいの?」と聞くと

長男「えっ、どうにもならないよ。。。新入社員なんだから。。。」

父「なんで? 新入社員だから見えてる疑問なんじゃないの? 問題だと思うんだったら調べて分析してみればいいじゃん」

長男「えっ??」

父「自主研究、そうすれば問題が見えれば見えるほど楽しくなるよ。」

長男「なるほど、確かに。。。批判だけしても苦しいだけだもんね!」

暗かった長男の顔が明るくなってよかった。

長女との会話

長女は看護士を目指して大学で勉強中。

長女「私、自分の進みたい看護決めた。終末期ターミナルで働きたい。今回の実習で患者さんの死に直面して分かった。

終末期は「死に向かう準備」なのではなく「死ぬまでにどう生きるか」だった。」と。

死生学的にいうと「死」があるから「生を一生懸命になれる」という概念でいくと、死期が明確になった終末期はまさにその象徴的な時。

看護士を目指そうとした時、彼女は自分は果たして人の死に向き合うことが出来るだろうか?と不安だったらしい。

でも見方を変えて「一生懸命生きることのお手伝い」なら自分は天職だと考えたらしい。

見方で「やる気」は変わる

二人との会話を通じて、物事は見方を変えればモチベーションは変化させることが出来ると思った。

ネガティブで批判的な見方をしている内は、頑張れば頑張るほど苦しくなる。

逆にポジティブな見方が出来れば、それは楽しみに変わる。

自分もそんな風な目付の仕方をしようと思った。

 

 

マイナンバーとJPKIカード

今日のHEASNETフォーラムでマイナンバー関連の話を聴いて考えた。

マイナンバーとは?

住民票などの住民基本台帳番号、年金番号、納税者番号を紐づける「共通番号」をいう。

決してカードの事でもないし、JPKIという認証方式でもない。

 

JPKIの主な機能

本人確認機能(写真、4種情報(氏名、生年月日、性別、住所)署名用電子証明書)

資格確認機能 電子署名や対面で初期の紐づけを実施、

電子証明書のシリアルNoがID、カード内のpinがPW

変更確認【新規機能】

氏名、住所等の変更があると電子署名用証明書は失効する

CRLから、事象発生を知ることが可能

変更情報の取得

少々ややっこしいがここをしっかり抑えておく必要がある。

 

運転免許証をマイナンバーカードにしたらどうだろうか?(私見)

住基ネットのように市町村単位で導入決定していたら、うまくいかない。

写真がついて、住所、氏名、生年月日、性別がついているもの。。。あるある。。。免許証

免許証の発行枚数って何と約8100万枚ある。5年更新だから年平均1620万枚が更新

される。現在の免許証にはNFC(非接触通信)機能もついている。

発行・更新する施設もすべての地域に存在しオペレーションされている。教育スペースも

ある。だったらこれをマイナンバーカードに変えて行ったらいいんじゃないだろうか。

どっかの更新分からJPKIに対応させればいい。

今から各市町村にJPKIカードの発行機関を作り込むよりも免許証スキームを巻き取った方が

近道ではないだろうか?

免許を持たない人、こどもにも発行すればいい。ただ運転免許部分は全部「0」

これなら全国民が登録したとしてもオペレーション出来る。

当然細かい所を一杯詰めないといけないと思うが、5年で自然に普及が図れるなら

いいんじゃなだろうか。

最近の政治スキャンダルにうんざり

最近の政治スキャンダルにうんざり。

ワインを贈った、こんにゃくを配った、SMクラブ、義理の姉へのお金。

マスコミのキャンペーンは揚げ足を取るような話ばかり。

SMクラブはNGで、キャバクラは?愛人がやっているスナックはOK?

アブノーマルがNGなら毎日なんでテレビにお姉芸人があんなにもてはやされる?

もしそのSMクラブが収益のほとんどを身体障害者のために使っていたら?

僕が知りたいのはこんなこと。

その政治家はどんな政治理念を持っていたのか?

その政治家は与えられた省庁でどのような華をさかせたいと思っているのか?

それに対して迎えいれた省庁の官僚とのギャップはどうあるのか?

それをどうやって埋めて、政治的な力点を活かそうとしているのか?

どれだけ実現できたのか?

 

小泉純一郎がなぜあんなに国民に人気があったのか?

それはこれを自分に都合のいいようにオープンにしてきたからではないだろうか?

 

「政治の通知表」が公正につけられることが一番の政治改革ではないだろうか?

市民は大衆化からどうやったら帰れるのか?

まだ自分も疑問形ばかり・・・

 

地域にとって「情報」はどんなエネルギーに成りうるのか?

以前の自分のテーマは「ICTを使った地域情報化」だった。

これは「地域情報化」が目的になっている。NTTPCのサラリーマンとしてビジネス的にはそれは正しい。

でも、最終的に実現したことは何なのか? 大船渡での活動を通じて自分の中に芽生えた疑問。

若者が流出してさびれていく地方。大規模資本が席巻して消えていく地元商店街。駅前はシャッター通り。

僕らが実現しなければいけないのは「情報化」することではなく「活性化」することだと考え方を変えた。

今週大槌町にお邪魔させてもらった。大船渡の大体4分の1の人口。

震災後、地域の中で情報が不足したので、身を粉にして頑張ってきた素敵な人達と出会った。

女性独りで手作りの新聞を毎週発行している人。

コンサルの職を離れてポータルを作りインターネットで地域の内外に情報を発信している人。

臨時災害FM局を試行錯誤しながら運営している人。

大手新聞社の社員なのに震災後ずっとそこに住み続けて記事を書き続けている人。

ミーティングの中でぶつけられてくるその熱意に圧倒される。

 

「皆で知恵を絞ろう。。。」

彼らの「熱意」と地域の「活性化」をどうやったら継続可能な形で結び付けられるのか?

地域にとって「情報」はどんなエネルギーに成りうるのか?

「防災情報」を速やかに伝え、地域に根差して伝えることで「安心して暮らせる」

「認知症高齢者の徘徊」「子供の連れ去り」に対する捜索能力の向上

「商店街のイベント情報」を伝えることでの集客支援

「学習情報」を遠隔で収集できることで「学習の地域間格差を縮める」

「業務情報」を遠隔でやりとりできることで「地域に新しい職種を増やせる」(テレワーク)

地方の課題は沢山ある。ビジネス的には小さいかもしれないけど、数は沢山ある。

自分の活動の起点になったのはバングラディッシュのグラミン氏の「マイクロセル」という発想。

大事なことはみんなで「知恵を絞ること」。一人じゃ何も解決できない。

 

地方創生について色々考えてみた。。。

この2年間、地方の生産人口の減少をどう食い止めるべきかと考えてきた。
最近になって政府でも「地方創生」を重要テーマとして打ち出してきた。

でもこれは「少子高齢化が進むと都市部が地方を財政で負担することは出来ないから地方を元気にしないと」という側面がにおい立つ。

「消滅可能性都市」という言葉が世間に衝撃を与えている。

でも果たしてこれは地方だけの問題なのだろうか?
社会の抱える問題は「人口」だけではない。

現在の社会構造で劇的に「世紀末」を創造させるイベントが起こるとすればそれは「ファイナル・石油ショック」ではないだろうか?

現在の社会は製造・流通・消費において石油への依存度が高く締めている。これがある日どこかの産油国の油田が枯渇したというニュースが流れたとしたら

社会はどうなるだろか?

各国の石油の調達能力は一気に弱まるだろう。
自分は決して原発推進派ではない。どちらかというと止めておいた方がいいんじゃと思っている方だ。

今日、大船渡から東京に戻ってくる中でずっとそうなったらどんな状況になるのかと考えていた。製造・流通が動かなくなった時にどうなるんだ。。。

衣食住で考えてみた。

まずは食
農作物を作るという行為は、ノウハウがあり収穫したものから次の種の確保が出来れば作れる。

魚は海が近ければ捕れる。養殖のノウハウは貴重。燃料が要らない帆船が欲しいか。

肉は畜産・養鶏のノウハウを持っていればエサは農作物なので循環出来る。

塩は海が近くて作り方のノウハウがあれば作れるか。

次に住
木を育て製材して家を建てるノウハウがあれば建てたり修繕できる。

最後に衣
木綿、絹など昔ながらのノウハウがあればできるな。

これを「石油枯渇後の地域地産力」という評価で市区町村別にランキングをしたらどうなるんだろう。

結局ノウハウを持っている人の存在と、自然環境に依存することになる。
東京は間違いなく最下位になるんだろう。

逆に大船渡は?
農作物・・・結構自分の家で食べるための畑持ってる人が多い。
魚・・・国内有数の漁場がすぐ側、わかめ、ホタテ、カキの養殖。アワビの陸上養殖してる人さえいる。
肉・・・アマタケの南部鶏、隣の住田町のアリスポーク

家・・・気仙大工という国内有数の技術(家・船)
衣・・・遠野では昔養蚕が盛んだった(おしらさま)

んんん。。。かなり条件揃っているぞ。

これにプラスして「環境」を考えなければいけない。石油がないのだ。
北海道だと寒さ、豪雪地帯は雪、東京などは暑さ

大船渡は「岩手の湘南」と言われ雪が降るのは年1回位。温暖化が進めばそれも減る。
大船渡が上位ランキングになる。その時になったら東京の土地に資産価値はゼロになる。第二次世界大戦後の闇市状態だ。

「人口問題」「少子高齢化」に加えて「ファイナル石油ショック」という社会課題も見据えた地方創生を考えるなら「地方の立て直し」ではなく田中内閣にような「第二次日本列島改造論」で取り組まなければいけないのではないだろうか?

帰りの新幹線の中でそんなことを考えた。

被災地の建設業の悩み

今週、岩手県建設業協会大船渡支部の支部長とディスカッションをして色々考えさせられたので忘備録

 

現在、復興需要によって深刻な人手不足。技術者が足りていない。

でもこの需要はあと3年から5年のバブル。

ここで正規雇用しても一人前になるときには需要は一気に落ち込んで経営を圧迫する

3500万円以上の工事をやる場合には1級施工管理者が義務付けられている。自分たちの所には2級はいるが、中々沿岸部で1級を取得するには内陸まで通う本人の強い意識が無いと難しい。業界としては何とか2級でも経験年数が10年以上ならOKとかにしてほしいと県や国交省に働きかけているが中々実現できない。結果工事を受注できず復興の遅れにもつながっている。

建設や土木は「経験工学」だ。どれだけの現場を経験したかで能力が大きく違い、どんなに資格をもっていても経験がなければ役に立たない。

 

積極的な人の確保・受注活動に踏み込めない現実的な話だと思った。

 

聞いていて市場の目線が岩手県内にまだあるというのが一つのポイントではないかと感じた。

おっしゃる通り建設や土木は「経験工学」だと自分も思う。

この被災地で現在災害復旧、復興の経験を積んだ技術者ばかりが溢れている。

先日の広島の土砂災害を見ても気候が変わった日本の災害土木・建設は今後高い需要を生むことが想定される。

であるならば、現在検討を進めているスマートキャリアカレッジの仕組みを確立させて何とかこの三陸の経験技術者達に1級施工管理者の有資格者に育て、国内外の災害発生の際に派遣するビジネススキームまで確立させたい。

それは気仙の建設・土木にとって貴重なビジネス戦略ではないかと思っている。

地域情報化と地域活性化

最近までの自分は地域情報化を通じて社会を良くしたいと思ってた。

何故ならば自分が情報通信を扱う企業に勤めているから。

 

でもそれって「地域の情報化」が命題になっている。

給料もらっているのだからそれはそうでしょう。

売上をあげてこそ自由な領域を持てる。

そうどこか思ってきた。

 

でも大船渡の活動を通じて自分が求めている命題は地域が活性化

することで、そのために情報通信は補完できる部分がある。

 

同じようで同じではない向き合いかた。

 

要は情報通信以外の部分も活性化のために必要ならふみこまなければならない。

 

通信事業者が本業以外でもたくさん資産をもっている。その事に気づいたこの1週間。勝負所は見えてきた。

 

「復興史」という考え方

今週、大船渡で防災・市民メディア推進協議会の理事からの提案に考えさせられた。

 

「チリ津波の時のことをFMねまらいんで番組化したらどうかな」

 

最初は?? 東日本大震災ではなくチリ津波を何故?

よくよく聞いてみるとどう被災して大変だったかではなく、どのように復興に取り組んだのかの「復興史」を番組化してはという提案だった。

 

当時、被災した街を見た地銀の支店長が「大船渡はもう終わった」と言って拠点を閉鎖するほどの絶望感の中、5年で拠点を再開設するほどの勢いで街は復興された。

この経験は自分たちの誇りであり勇気に繋がるはずとのこと。

 

これまで「震災の教訓化」という目線で見てきた自分にとって全く気付かなかった視点であり、「チリ津波気仙復興物語」是非実現出来たらいいなと思う提案をいただいた。