先週末、久しぶりに長男、長女とゆっくり会話する機会があった。
長男との会話
長男は4月に就職したばかり。仕事に慣れてくると同時に色々な不満が溜まってきたらしい。
「なぜあんなままにしておくんだろう」「あそこには結構人がいるのに」「みんな辞めたがってる」
よく会社で聞く種の不満が次々出てくる。
父「で、どうしたいの?」と聞くと
長男「えっ、どうにもならないよ。。。新入社員なんだから。。。」
父「なんで? 新入社員だから見えてる疑問なんじゃないの? 問題だと思うんだったら調べて分析してみればいいじゃん」
長男「えっ??」
父「自主研究、そうすれば問題が見えれば見えるほど楽しくなるよ。」
長男「なるほど、確かに。。。批判だけしても苦しいだけだもんね!」
暗かった長男の顔が明るくなってよかった。
長女との会話
長女は看護士を目指して大学で勉強中。
長女「私、自分の進みたい看護決めた。終末期ターミナルで働きたい。今回の実習で患者さんの死に直面して分かった。
終末期は「死に向かう準備」なのではなく「死ぬまでにどう生きるか」だった。」と。
死生学的にいうと「死」があるから「生を一生懸命になれる」という概念でいくと、死期が明確になった終末期はまさにその象徴的な時。
看護士を目指そうとした時、彼女は自分は果たして人の死に向き合うことが出来るだろうか?と不安だったらしい。
でも見方を変えて「一生懸命生きることのお手伝い」なら自分は天職だと考えたらしい。
見方で「やる気」は変わる
二人との会話を通じて、物事は見方を変えればモチベーションは変化させることが出来ると思った。
ネガティブで批判的な見方をしている内は、頑張れば頑張るほど苦しくなる。
逆にポジティブな見方が出来れば、それは楽しみに変わる。
自分もそんな風な目付の仕方をしようと思った。